*“光”の性質

 

始めに

 最初にきちんと明記しておきました様に、これによって得られる知識と実践法は、私共の*心を“光”で満たす、即ち調和するということが最大の、また唯一の目的です。

 今までと違い、人のことが分かるという事は相手の性格を意識して、つき合えば、今まで我慢できなかった事も我慢できるようになり、許せなかった行為も許せるようになっている自分を発見します。

 また、これからの説明でマイナス面も出て来ますが“光”による調和とは、これらのマイナス面が努力感なしに融けて無くなっていくことこそを言うのだと思って頂ければ間違いありません。

 “光”のことが分かってきますと、人の特徴とか性格等が分かってきます。もちろん短所等も分かってきますから、ズバリ本人の一番痛い所を指摘して、相手の感情を害してしまうなどという事が起こってきます。

 ある意味では“光”の真実性を証明する事になりますが、“光”の世界の正しい基準が、単純、明快、矛盾なし、であるということからしますと余り感心したこととは言えません。

 目的は、自分が今まで、自分でも知らなかった性質を“光”によって再認識すると共に、自分の周りの人達同士が更に理解を深め合うという事ですからその点、誤解のないようお願い致します。

 

9の性質

 *“光”の表には、みよ、苦、終わり、心で見る、としかありません。苦を、苦と思わず終わり(結論)を見透している大きな心の持ち主、と受け取って下さい。

 心でみるとは、**心眼でみるということです。9を持っている人は生まれながらにして心眼を一つ持ってきた事になるわけですから、見てくれの人間関係にとらわれず、一味違った洞察力、考え方、行為が伴ってきます。

 即ち9を持った人と持たぬ人とは、いわゆる価値観の相違が大きく離れてきます。9の無い人から見ると今一つ理解できないのもそのためです。

 9と4は*兄弟色ですから、この“光”が曇ると勇気が無くなる、即ち恐怖心につながります。理屈抜きに特定の事象に恐怖心を持っている方は9か4の場合が多いようです。

 999と9だけは三つ続く“光”が存在します。心眼を三つも持っていますから一分半足らずの簡単な説明で例外なく“光”のことを理解します。“光”が真実だという結論を、初めからご存知なのでしょう。

 

1の性質

 *ちり、始め、念ずる、1から9迄あるエネルギーの中で宗教的な信仰、修業法、霊現象、超能力などに関係しているエネルギーです。精神統一の一とは正しくこの1のことであります。

 念の力(エネルギー)念力ですから絶大な力を発揮する事があります。例えばカトリックの人々は世界中何億という人が、聖母マリアを念じている訳ですから、その念が集中して、ルールド、ファチィマ、ガラバンダその他の所に聖母マリアの出現となって現れます。

 念ずるとは未来に方向づけされている訳ですから想像という行為ににつながります。想像とは、未知の事象を心に描くことです。これが未知の事象を創造することにつながります。つまり創造のエネルギーでもあるわけです。

 1というエネルギーはこの様な事象の原動力となっているエネルギーですから、人生に対して積極的です。
 ですから大は大なり小は小なりに、各人の環境の中で人の上になりたい、即ち一番になりたいという方が多いようです。ただ逆に一度挫折すると、けしょんとなり易いという点もあります。

 このエネルギーのもう一つの特徴は、1と併せ持っているもう二つのエネルギーを増幅する作用があります。これも念のエネルギーの一面で、1と3(五官,肉体)プロスポーツ選手に多い、1は6と*兄弟色ですから智性の面でも他に劣りません。

 ある意味では宗教的な世界とはエネルギーでいえば、1の世界とも言えるわけですが、信心、謹行、修行を旨とする宗教的世界での奇跡とか霊体験というものが、極特殊な場所や人に現れるのもこの事を根底に考えると合理的に説明がつく訳です。

 “光”の世界は1から9までの総合された世界ですから真実で普遍的なものはどこでも誰にでも実現しなければ矛盾してきます。
 誤解の無いように申し上げておきますが、決して宗教その他の修業法を否定している訳ではありません。

 “光”のあり方がわかってきますと以上の様な理解の仕方が自然と成り立つ訳ですが、この事をふまえて、現在精進されています信心、信仰、修業というものを努力された時、より実りの多い成果が得らるものと確信致します。

 最後に一見信心、信仰とは無関係に見えてエネルギーの立場から見ると殆ど同質に考えられる世界があります。それは信念を上手にコントロールし自己を開発したり欲求を達成したりする、キャチフレーズに成功ということばが出てくる世界です。
 それ自体は大変結構ですが、1のエネルギーだけ頭でっかちに活用せずに1から9の“光”がバランスよく調和協力するよう気をつけて下さい。
 

2の性質

 *単純4,明快2,矛盾6なしの、明快2です。自分で行っても他人の行為を見ても明るく感じる行為は2だということです。
 どのような行為かというと、人と仲良くしたり、助けたり、感謝したり、補いあったり、分けあったりと、宗教や倫理の先生が求める常識的な道徳の規範です。また人間関係を和やかに保つ方法でもあるわけです。

 この逆に怒ったり、怒鳴ったり、罵ったり、憎んだり、恨んだり、妬んだりしていくと人間関係は例外なくぎくしゃくして行きます。つまり、"明るい行為は明るい結果、暗い行為は暗い結果"として表れます。

 倫理道徳とは宗教的な行為も含めて明るい行為を奨励し、暗い行為を禁止することによりより明い意識の保持者になるよう行為と意識の間を試行錯誤してきた訳です。

結果 明るい“光”から派生 暗い部分から派生 意識

 ところが、これをお読みの皆様は明るい意識は明るい“光”、暗い意識は心の暗い部分からの派生物にすぎないということが、わかっていますから末端の行為の修正にはこだわりません。意識の結果が行為なのです。

 *プラス努力とあります。物事の成就達成にはあくことのない努力が必要です。私共が努力するには、その事象に対して**感情2が納得しないかぎり行動に移しません。

 *マイナス怒り、すぐカッと感情的になりやすい暗い意識の代表です。

 先程の説明のように2は***人間関係のエネルギーですから2を持っている方は、性格が明朗で、相手の気持ちを掴んで逸らさないようにし、それでいてはっきりと自分の意志は表現するようです。

 “光”は明暗ありますからマイナスは一瞬にしてプラスに、プラスはマイナスに転じます。
言葉で作られた行為でこれを修正しようとすると、最初のうちは何とかなりますが結局、元に戻ってしまい、いき着くところは修業法、宗教の遍歴というお定まりの道を辿っていく様です。

 

3の性質

 *文学,芸術とありますが、これは芸術的な面、技能的なあり方の領域に拡大解釈していただいて結構です。
 芸術面で大成している人で3か3の*兄弟色8を持っている方が圧倒的に多いのはそのためです。五官,脳とあるのは脳で支配されている肉体というものが、3という“光”に集約されるということを表しますから、肉体が関与するエネルギーなわけです。
手先が器用とか1と3が揃うと瞬発力(スポーツ)を発揮するなどの特徴があります。

 目でみるとあるのは、肉体を持っている限り、3という眼鏡をかけて外界を見ていると理解して下さい。

 

4の性質

 単純の4です、心の断面図では**本能、生物では***獅子(しし)、百獣の王の勇気の源泉です。

 9のところで説明したように、自分の“光”を否定している人は原因不明の恐怖心にさいなまれ、いじいじした毎日を送っている方がいますが、調和法をしている内に人前で話せるようになったとか恐怖心がなくなったなどは大概9か4の持ち主のようです。

 単純とは万事ピッシ,ピッシとめりはりがきちんとする意味もありますから、*役割に法律即ち法律をきちんと守ったり、守らせたりという仕事にむいているためでしょうか、公務員とか会社なら総務的な仕事に就いている方が多いようです。

 *欲望の欲が4です。その曇った状態が、貪り(むさぼり)となります。人間は動物と違い飽くことなく、欲望を拡大していきます。
 新聞紙上を賑わしている問題は殆どここに起因しているようにさえ思われます。人類が4のエネルギーを調和していくことが如何に重要であるか、ということです。

 4は心ということも表しています。まず勇気をだして"とどまって"見ることが大切です。この"とどまる"ということが、反省を決断させる瞬間のエネルギーであり、その反省を、中国では天台大師が止観と教えましたが、止観の止のエネルギーです。

 4には以上のような性質がありますから、光を得れば、枝葉末節にこだわらない勇気、決断力、物事をきちんとしないと気が澄まぬ整理、整頓のエネルギーとなって、事に臨んでは我慢強さを発揮します。

 

5の性質

 5というエネルギーは他の“光”と本質的に異なっている点が幾つかあります。**表面意識の4、2、6には**潜在意識の5を介して9、7、1が*協力していますが、5は潜在意識の5が、そのまま頭を表面意識に出した形になっています。

 5以外のところは、レンズ(放っておくと曇る)の様な働きをしますが、5はシャッターの様なものです。曇るという事はありませんが、ほうっておくと閉まってしまいます。
 このシャッターを勇気を持ってこじ開けることが、4のところで出てきた*止観の止です。シャッターをこじ開けると5が作動し始め一瞬一瞬を反省する心の行為につながります。

 エネルギー的には5という*浄化のエネルギーが隣のエネルギーをどんどん浄化することを意味しますから、各々のエネルギーのたまり場である“光”のレンズ(**聖書では真珠と表現)は曇りが晴れて行きます。

 これを宗教者は、心を“光”で満たすとか、浄化すると表現していると理解し、心に関する本を読みますと漠然と言葉の上で理解していた心の問題が大変具体的に理解されてきます。

 実は真実を理解するということが5の機能の一つである**悟るということですから、“光”で心の世界を理解し始めますと、以前感激した"言葉で構築した"心に関する本を読んでも、いたずらに美辞麗句の羅列に過ぎなくなり「空しい感じがします」という言葉が多数の方々から聞かれます。感激,感動というものは、それが調和に結びついて初めて、意義があるものではないかと思います。

 *生物のところ*牛とありますが、一度嚥下(えんか)した過去を取り出して、噛み砕き(チェックし)更に栄養価の高い状態にして再び飲み込み、それを繰り返して、完全に自分の血肉とするメカニズムは、如何なる指導書よりも単純で、明快で、矛盾がありません。

 5を持っている人はどんな人間関係の中にあっても、何とかまとめて調和させようとします。ですからどこでも人間関係の精神的、要目に位置するようになります。
 5を持った人がいない家庭で、5を持った赤ちゃんが生まれたとたん、家の中が調和して行く情景がよくみられるのはその為です。

 5は心の断面図では**理性に位置し、4のように事実だけで納得するとか、2のように情緒に訴えられて陥落するとか、6のように理屈だけで納得するということがありません。理性的で計画性があるようです。
 ただ牛の性質そのままでテンポの早い展開は不得手で、一段一段積み重ねていくタイプです。

 表面意識は3(肉体)という眼鏡を透して、ものを見るのに対して、***潜在意識の体と考えられるのが、“光”のエネルギーからみると5であるということです。宗教者が光子体、幽体、霊体などと表現しているものです。

 

6の性質

 *6矛盾なしとは、宇宙即ち自然のあり方そのままということです。この原点に還ってみますと、すべての矛盾は人間が作り出している産物に過ぎないということです。ですから矛盾した諸々の社会現象は本来解決されるべき性質のものです。

 一方科学というものは矛盾は許されません。ですから科学の世界では国境がありません。よく「何故、団体や組織を作らないのですか」という質問に遭いますが、科学は国境,思想,民族を越えどこにでも浸透していくものだからです。

 6は**智性の塊で光れば智恵が湧現し、曇れば愚痴の源泉となります。
 生物に***鷲(わし)とあるように、高山の頂にとまり鋭い目と嘴とを備え、四方を睥睨(へいげい)している鳥の王者そのままが6のあり方です。

 智性,智恵とは勉強のエネルギーですから、6を持っている子供は「勉強,勉強」と追い立てなくても勉強するエネルギーの持ち主です。これを追い立てますと逆に抵抗して勉強嫌いにしてしまいます。

 この様に“光”を知らずに過ごして行く事は、目隠しして歩いているのに等しいと感じます。貴重なエネルギーを最も効率よく活用したいものです。

 大きな智性を持っているせいか、自分なりの意見をお持ちの方は、なかなか自説を曲げないのも、6の良いところであり悪いところでもあります。頭の回転が早いために、物事の理解力の遅い人の心情が汲み取れなくて困るようなこともあるようです。

 元来聡明さを代表するようなエネルギーですから、ひとたび情緒の微妙な理解がつくようになりますと自ら先んじて奉仕の行為に邁進するのが6の真骨頂であるといえます。

 

7の性質

 未熟な感情である2が光ってくると発揮されてくるのが7のエネルギーです。感情が人情、情緒の理解をするようになったとき既に7あい、のエネルギーが活躍し始めていることを示します。ですから7を持っている人は、愛情深く面倒見が良く、さらに人間関係の2がある人は、友人仲間で好人物と評価されているようです。

 7の面白いのは経済的なエネルギー源となっていることです。これは金儲けが旨いとか、お金が特別入ってくるというより、何となく経済的なつじつまが合って行くといった様な感じです。
ですから同じ収入でも30%も50%収入が多い人のように見え、何となく豊かさを保っております。
 *政治、経済とあるのはこのことです。政治とはマネージ、経済とはビシネスですから、事務能力、管理能力の元になるエネルギーです。

 仕事をする源泉でもありますバイタリティーのエネルギーです。いったいあの人何時寝ているんだろう、といった人に7を持った人が多いのはこの為です。スポーツ選手なども7を持った人は粘りのある持久力を発揮します。

 七福神とか、ラッキーセブンなど何となく幸運のシンボルについてまわってくるのは、この為のようです。

 

8の性質

 **潜在意識と表面意識の間にある想念帯という“光”の層が8むらさきです。両意識の情報は必ずこの8のエネルギー層を、通して交換されているということです。

 メーカーの情報をユーザーに伝え、ユーザーの情報をメーカーに正しくフィードバック出来たらその商品のセールスは必ず旨く行くはずです。
 8を持っていてセールス即ち営業を担当している方は、必ずといって良い程成績を上げている様です。これにビジネスの7が加わると更にエネルギーの強さは発揮されます。

 情報、通信ですから、直感力に優れ感度良好の人が多いようです。勿論、心の方の感度も良いようです。

 例外なく、どこの国でも高貴を表す色として遇されていますから、何となくノーブル志向で、ハイセンスの方が多いようです。

 

まとめ

 1から9の性質をざっと見てきましたが、各人の“光”は三つづつありますから、その一つで全てが左右される訳ではありません。

 ただ、いえることは特定の“光”が二つありますとその“光”の性質が特に強く出るようです。いろいろ観察を深めて行きますと、特定の組み合わせが特定の挙動をすることにも気がついて来ます。

 それは積極的に“ひかり”の計算をし、何人にも調和法を伝えている内に、頼まれなくても自然に解ってきますから、応用問題と思って先ず何よりも、どんどん“ひかり”の計算をしてみて下さい。

 2のところで出てきたように“光”は○明か●暗か、即ち○光っているか●光っていないか、の二つでその途中の、どっちともつかない玉虫色はないものと思って下さい。

 ですから、例えば◎369の場合でも、次のように八通りの人物像が浮かび上がってくるわけです。

 
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
8.

 また、この○●の組み合わせが、易の乾兌離震巽坎艮坤(けんだりしんそんかんごんこん)の八卦の組み合わせと一致して来ます。

“ひかり”の*81パターンの内123と213のように順序違いでも同じ“ひかり”を*整理すると45通りありますから、“ひかり”で説明のつく人物像は、

  45 × 8 = 360 通り

あり、この一人ひとりが360通りの人間関係を結ぶ可能性があるわけですから、

  360 × 360 = 129 600通り

の人間関係の型が存在することになります。
この一見複雑な人間関係を、各人の調和、“光”の呼吸法によって、日常の行為は、*前の“光”を意識することと、*426の基準を守ることによって、人間関係は*5426のエネルギーの流れの活用によって、調和を達成しながら渡って頂きたいと思います。



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