すると、たちまち、わたしは御霊を感じた。 見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。
その座にいますかたは、碧玉(へきぎょく)や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには緑玉のようにみえるにじが現れていた。
また御座のまわりには 24の座があって、24人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。 ※ヨハネの黙示録 4.2-4
「御座にいますかた」即ち神の意志のところに8。 「碧玉や赤めのうのように見え」ですから隣に**碧玉7、赤めのう3と3つ並べます。 「御座のまわりには緑玉のように見えるにじが現れていた」で下に緑玉5を配置してみます。 そして4つの生き物ですから、あと3つ加えます。 |
この図を180度回転します。すると心の断面図と同じ様な構造をしています。 |
***顔は、第一の生き物はしし、第二雄牛、第三人、第四飛ぶわしです。 エゼキエル書に比べて全てにおいて表現が単純化されています。 四つの生き物にそれぞれ六つの***翼を付け加えます。 これで神の姿、即ちコントロールセンターの概念図の完成です。 |
そして昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。
昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」 ※ヨハネの黙示録 4.8
一つの“光”(自分の前の“光”)を常に意識するという事の重大さは、神に“光”で心を導通させるたった一つの方法であった訳です。
「すべてが光一筋に統一されるとき、真のユートピアが展かれん。この、一言半句が如何に偉大なものであり、心の世界を解明してゆく光の鍵の役目をしているということです。 またそれが、決して複雑な、神秘的な、神がかった手順や考え方を導入する事なく、実際に**小牛の足の裏を確かめるという*単純、明快、矛盾のない手段により、自然に解ってくるということが***中道というものの素晴らしさを証明しています。 |