またその中から四つの生きものの形が出てきた。 その様子はこうである。 彼らは人の姿をもっていた。 おのおの四つの顔をもち、またそのおのおのに四つの翼があった。(※聖書 - エゼキエル書1.5)
先ず、4つの生き物のうちの1つを描いてみます。 四枚の翼を図のように表現してみます。 |
その足はまっすぐで、足のうらは子牛の足のうらのようであり、みがいた青銅のように光っていた。その四方に、そのおのおのの翼の下に人の手があった。(エゼキエル書1.6)
***足は別に検討します。 2本の手は翼の下ですから翼の中に表現してみます。 |
その翼は高く伸ばされ、その二つは互いに連なり、他の二つをもってからだをおおっていた。
彼らはおのおのその顔の向かうところへまっすぐに行き、霊の行くところへ彼らも行き、その行く時には回らない。 (エゼキエル書1.11-12)
翼は伸ばされ、互いに連なった生き物が4つですから図の様になります。 |
生きものの頭の上に水晶のように輝く大空の形があって、彼らの頭の上に広がっている。大空の下にはまっすぐに伸ばした翼があり、たがいに相連なり、生きものはおのおの二つの翼をもって、からだをおおっている。
その行く時、わたしは大水の声、全能者の声のような翼の声をきいた。その声の響きは大軍の声のようで、そのとどまる時は翼をたれる。 また彼らの頭の上の大空から声があった。 彼らが立ちどまる時は翼をおろした。(エゼキエル書1.22-25)
翼は連なったり、からだをおおったりしていますから、その動作の連続体はエゼキエルの眼には図の様に映るでしょう。 |
**聖都エルサレムの3つづつの門を重ねてみます(概念図ですから表現を変えることも可能な訳です)。矢張り同様の図形が出来上がります。 |
エゼキエルは神の幻を言葉で表現しましたが、見たものは言葉より形で表現するのが適切です。 それでも心の仕組みをこの世でモデル化する場合、そのものずばり表現し得るものは一つもありません。必ずその概念を何%か表すものばかりです。 |