わたしはアルパであり、オメガである。 最初の者であり、最後の者である。 初めであり、終りである。(※ヨハネの黙示録22-13)
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聖書のω(オメガ)の書「黙示録」その22章中に上記の言葉が繰り返し出てきます。 この引用例では同じことを言葉を替えて3回繰り返しています。この繰り返すということは**循環の重要な3つの要素の内の一つです。 |
何処をとってもαω |
聖書の中で神やその意志を伝える天使は、いろいろな方法で神を紹介していますが、循環の3要素の二つ目の、「どこをとっても初めであり終わりである」ということを、神様自ら「わたしはアルパであり、オメガである」と自己紹介という形で示していています。 |
始めもなければ 終わりもない |
ところが肝心なα●1とω●9がありません。循環の3要素のあと一つ、「始めもなければ終わりもない」即ち**永遠ということをここでも仕組みで表しています。 |
創世記、黙示録この二つの書に宗教家は長い間悩まされて来ました。ローマ教会がガリレオ・ガリレイの破門を解いたのは破門から実に360年目、正確には359年4ヶ月と9日目の1992年11月11日のことです。神による天地創造説に反するとしたコペルニクスの地動説を是認したがための破門でした。 だからといって創世記が誤りであるとか、単なるお伽噺というのは少々早計に過ぎます。創世記は紛れもなく**宇宙創生の物語なのです。但し“光”で読まないと理解できません。黙示録の場合は聖書から除こうとまで言われた経緯があります。 全ての事柄について言えることですが必要なものは必ず用意されています。そして必要ある限りそれは無くなる事はありません。但し用が済めば消えて行くようです。これは“光”の世界の約束事のように思えます。 α=A、ω=Zです。これとは別にアルファベットを数(“光”)に変換してみて下さい。つまり9進法で数に置換してみます。 A=1,B=2,C=3・・・・・I=9 J=1,k=2・・・という具合にです。これは全てを“光”に還元してみる場合の一つの手段です。 アルファベットに直し数に変換してみると思わぬことが分かって来ることがあります。文字列が長い場合はαω(最初と最後の2文字)だけでも構いません。また足してみても引いてみても数ですから自在に変換できます。手当たり次第に変換してみて下さい。これは宿題としておきます。 |