**α、ω(アルファ、オメガ)

 わたしはアルパであり、オメガである。 最初の者であり、最後の者である。 初めであり、終りである。(※ヨハネの黙示録22-13)

 循環の3 
繰り返す
 聖書のω(オメガ)の書「黙示録」その22章中に上記の言葉が繰り返し出てきます。
この引用例では同じことを言葉を替えて3回繰り返しています。この繰り返すということは**循環の重要な3つの要素の内の一つです。

 
循環の5 
   α始め    ω終わり
何処をとってもαω
 聖書の中で神やその意志を伝える天使は、いろいろな方法で神を紹介していますが、循環の3要素の二つ目の、「どこをとっても初めであり終わりである」ということを、神様自ら「わたしはアルパであり、オメガである」と自己紹介という形で示していています。

 神様が繰り返し仰っているのですから、聖書のα(アルファ)※創世記、終わり(ω)ヨハネの黙示録、ここに何かあると思うのは当然でしょう。
αでありωである。ということはαがω、ωがαで万事逆ということですから、α創世記では“光”の順序と逆に天地が創造されています。仕組みで示しているわけです。

 8 光あれ(意志)
 7 おおぞら
 6 海
 5 青草
 4 生き物(本能)
 3 人(肉体)
 2  第七日目に休まれた(日曜日は赤で表示)

循環の7
始めもなければ
終わりもない
ところが肝心なα1とω9がありません。循環の3要素のあと一つ、「始めもなければ終わりもない」即ち**永遠ということをここでも仕組みで表しています。

 ひと月31日の中からαωという日は19日の1日だけしかありません。ということは何か“光”のことに関して起こる日だと19という数自体のαωが示しています。
皆さんの過去(“光”を知る前)の19日には、“光”に関して意味のあることは起こっていない筈です。ところがαωの原理を理解した瞬間から毎月19日というαωの日に今までと一味違ったことが起こってきます。

 そしてその事象を通じて“光”が人々の中に広がっていくという現実を実体験される筈です。これはαω現象のほんの一例に過ぎません。色々なところでαωに出くわすようになりますと理解度が増した証拠と言えます。αωの原理は“光”り探求の有力な道具なのです。

 聖書ではヨハネの黙示録に繰り返しはっきり記載されていますし、仏教でも「生死を超越する」とか「犬死一番」、「個にして全、全にして個」、等と説いていますが単なる言葉の遊戯に過ぎなくて問題解決の道具として活用されていないのは何とも不思議な気がします。

 創世記、黙示録この二つの書に宗教家は長い間悩まされて来ました。ローマ教会がガリレオ・ガリレイの破門を解いたのは破門から実に360年目、正確には359年4ヶ月と9日目の1992年11月11日のことです。神による天地創造説に反するとしたコペルニクスの地動説を是認したがための破門でした。

だからといって創世記が誤りであるとか、単なるお伽噺というのは少々早計に過ぎます。創世記は紛れもなく**宇宙創生の物語なのです。但し“光”で読まないと理解できません。黙示録の場合は聖書から除こうとまで言われた経緯があります。

 全ての事柄について言えることですが必要なものは必ず用意されています。そして必要ある限りそれは無くなる事はありません。但し用が済めば消えて行くようです。これは“光”の世界の約束事のように思えます。

 α=A、ω=Zです。これとは別にアルファベットを数(“光”)に変換してみて下さい。つまり9進法で数に置換してみます。
A=1,B=2,C=3・・・・・I=9 J=1,k=2・・・という具合にです。これは全てを“光”に還元してみる場合の一つの手段です。
アルファベットに直し数に変換してみると思わぬことが分かって来ることがあります。文字列が長い場合はαω(最初と最後の2文字)だけでも構いません。また足してみても引いてみても数ですから自在に変換できます。手当たり次第に変換してみて下さい。これは宿題としておきます。



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