“ひかり”の計算に人間が勝手に決めた暦を使って良いものかとの疑問が生じます。しかし、計算結果から導きだされた理論が何の矛盾もないという事は何を意味するのでしょうか。 何でも自分で決めている積もりですが、実は全てが“光”のコントロール下にあるという事です。無意識のうちに天体(地球)の動きを元に現在の暦を作らされたと言って良いでしょう。 |
それは ノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。 (創世記 7.11〜7.12)
水はしだいに減って、十月になり、十月一日に山々の頂が現れた。
四十日たって、ノアはその造った箱船の窓を開いて、からすを放ったところ、からすは地の上から水がかわききるまで、あちらこちら飛へびまわった。 (創世記 8.5〜8.7)
さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。 (マタイ伝 4.1〜4.2)
光暦は心の世界の暦で現在という瞬間を表す暦です。太陽暦は過去を表しています。 現在が存在するためにはまだ足りないものがあります。それは未来です。未来を表す暦を***宇宙暦といいます。 この世は「泡沫の夢」とよく言われます。また「我考える故に我あり」とも昔の哲学者は言っています。 現在のように科学が発達した時代でもこの問題の答えを出すことが出来ていません。何故でしょう、今まで人類は過去の暦しか持っていなかったのです。過去を扱う科学しか持っていなかったのです。 この3つの暦により始めて、我々が今ここに存在しているということを証明できます。 |