***煩悩

 またその中から四つの生きものの形が出てきた。 その様子はこうである。 彼らは人の姿をもっていた。 おのおの四つの顔をもち、またそのおのおのに四つの翼があった。
 その足はまっすぐで、足のうらは子牛の足のうらのようであり、みがいた青銅のように光っていた。(エゼキエル書1.5−7)

 四つの生きものは、「人の姿」ですからおのおの二本の足、すなわち*“光”のパイプを持っています。4つの生き物に2本づつですからパイプは全部で8本です。
そして「足のうらは子牛の足のうら」とあるようにパイプの中は二つに仕切られ*導通路は8本の2倍の16本となります。

 誰でも4つの生き物の内の1つの、2本の足から36色(2本×2×9色)づつ送られていますから、その人に直接関係のないパイプは残りの3つの生き物の6本の足、“光”の数で108色(6本×2×9色)となります。
これが仏教でいうところの自分の心の外にあって、心を悩ます現象を表す、煩悩の数百八つにピタリと一致します。

 また全体では 36色+108色=144色 になり、
36÷144×100=25% で**個性を形成する**25%と一致します。

 また城壁を測ると、百四十四キュビットであった。これは人間の、すなわち、御使いの尺度によるものである。(ヨハネの黙示録 21.17)

の144キュビットという数字とピタリと一致します。

 何故、聖書と仏教の教えとが一致してくるのでしょうか。これは同じものに付いて説いているからに他なりません。
宗教に限らず同様の事例が起きてきますが、心に関しての事柄を扱っているから当然なのです。ただ現在ではその意味が分からなくなってしまっているだけのことに過ぎません。



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